2020年02月02日

素敵な人生の旅

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 皆さまコンニチハ 今日は朝から事務作業をしようとしてる間に書きたくなったのでまたツラツラと書こうと思っております。

今日のお題も僕の内面のお話です。少しずつですけどブログを書くようになってから自分の意識がどこにあるのか、自分の意志をどの場所に向かわせているのかなど随分変わったなぁ~と感じている今日この頃。

特に愛を売り文句だけにしないで、どうすれば愛を活かせるのかどうすれば愛が伝わらなくても愛から離れ無いように出来るのか?などを十字架信仰を前提として考える様になってからは拙いまでも言語化して見える形にしようと懸命でありました。信仰がある無いに関わらず、霊的な戦い。目に見えない戦いから僕は目を背けたくなかったからでもありますね。

僕の内面の構成は今3通りあります。
それぞれ(心、愛、魂)
これらは一つの様に感じますけどそれぞれが独立している内面の器官でもあります。何故独立しているかと申し上げますと、心にも愛が宿りませんでしたし、魂にも愛が宿らなかったからで御座います。

心は主に感情を司っておりまして嬉しい事を頂く人には愛情が芽生えますけど真逆の事を頂く人にはそれ相応の感情が生まれます。ですので愛は宿れないと思っています。

では長年追い求めてきた魂はどうか?精神性や理念や正義。また人の歩んで来た過程や背景を視る事無く事象のみ捕らえ、瞬時に裁く傲慢性。掲げた物は正しくても、そこに在らない他の方の内面を排除する性質を持ち合わせているのが魂。これに相当します。いわば同じ場所に居てこそ愛情が生まれる。性質は心とは違いますけど生む物は同じなんですね。新興宗教でもカルトでも個人の価値観でもなんでも同じ性質があります。

早速ですが、昨日、この人何いってんの?という事がありました。
なんで魂が愛を包んでんの?逆でしょ。愛が全てを包んでいるから罪は許されるんでしょ。
罪の中を彷徨っても、罪無き道を歩んでも愛の寛容の中に在ってはそこは貴方の道であって場所ではないでしょ。むしろ愛は一番デカくて温かいと感じるとこでしょ伝えるならちゃんと伝えて欲しい。。。

あ、ですから僕もこの様に・・心と魂を排除したという訳じゃないんです。
正確に言うと、この人何言ってんだろと感じてる自分を視ているという事でありますね。
この場合の僕の意識は事象の違いはありますけど心と魂どちらかに偏っています。

では愛とは何でしょうか
愛は単体では機能しない内面の器官でもあります。僕が生まれたのは僕を望んだ意志がある
目に見えない意志がある。僕は自分の意志で生まれた訳ではないからです。僕の意志を望んだ存在。これを僕は神と呼んでいて神は愛なりとも認識しています。因みに神は愛なりと謳っているのがキリスト教でキリスト教という枠の事ではないんですね。難しいですけど。キリスト教という言葉は後付けの言葉であってキリスト教が真理という事ではなくて、真理は愛の内にある言葉の一つでもあります。

ですから枠を設けた心が愛を知る事は出来なくて、枠を広げた魂が愛を知ることは出来ないのです。愛は愛の内に留まっていないと知る事も感じる事も出来ないのですね。好きな音楽を聴いている時の満たされた感覚とよく似ています。

では神の愛はどうして感じれるのか?それは聖霊降誕といいまして今では誰でも感じ取る事が出来ます。何か一つを熱心に信仰している人だけが持つ特権でも何でもなくてその贖罪はすでに十字架によって終わっているという視方が僕の捉え方であります。

終わらないと終わらせないと何時までも心と魂は争いを止めれないです。それでも終わらせたくない神とは真逆の存在も居るんです。心も魂も利が生まれ共食いを続けるから争いが生まれる。MY SIDE YOUR SIDE もうずっとこれの繰り返しで次から次へと新しくこれを繰り返します。

愛の内に在って
自分の意識が今何処にいるのか、何をしようとしているのか
自分の意志は愛と共に愛の場所に引き戻せてあげれるのか

愛の内に在るのなら

心も魂も愛を滲ませ癒してあげれる それも自分ではなくて愛
心や魂が何をしていても帰れる場所がある それも自分ではなくて愛

愛が無くならないのなら
戦争、災害、イジメ、差別、凶刃や虐待で強制的に去らざる得なかった多くの方の魂や心が救われる。神と離されて、誰よりも傷んで、誰よりも孤独の中に在ったキリストが十字架上で遺した言葉(完了した)は愛は絶えぬ事の宣言です。複数で成り立つ愛をたったお一人になっても愛を覚えておられた奇跡でもあります。

この言葉こそが、僕が期待が潰れずに前を向いて行ける唯一の救いの言葉でもあります。僕は孤独の痛みを知っているから、傷んだ人をこれ以上傷ませない様に前に向く力でもあります。

誰であれ愛の内に在るのなら素敵な人生の旅を続けれると思います。

僕の旅路もどなた様の旅路も
神の愛と共に・・在ります様に。
そう祈り続けます。