2020年01月28日

音楽と内面の相関を考える

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 今日もお疲れ様です。

本日は音楽と人間の内面との相関を考えていました。
只今、より優しく、より解り易くと自分が書いて来た記事を見直しながら作業に没頭しつつ頂いた発想ともなります。

よく、点で視ないで線で視ようという言葉があるじゃないですか。
これってたぶん何にでも応用が効くと思うのですね。

例えば音楽(メロディーって)点で聞いたら何がなんだか解らないのですけど
線で聞いたらとても素晴らしい恵になるじゃないですか

これって人はどんどん神様に似て行くという聖書の言葉と同じで子供の頃は点(偏在)しか視難いけど、大人になるにつれて線で視る(臨在)も少しずつですけど視れる様になりますよね。

それを自分の内面に置き換えますと

カッとして イラっとして ムッとして ウザって思っても

これを線で繋いだら (カイムゥ)皆無になるじゃないですか 何も生まない。
音楽でいうと結構大事な一拍置くフレーズの様に思いますし

エッ?て思って グッときて イャーと照れて 涙でも出れば

エグイナ って感じるじゃないですか
音楽でいうとサビの部分に当てはまります。
かなりこじつけてますけど。

そうすると皆無とサビを繋いだら
線で視たら個人差はあっても音楽と同じでとても素晴らしい恵を感じれる

つまりは音楽と自分の内面の奏で方はほぼ同じなんだと思うのです。
サビばっかりじゃ、皆無ばかりじゃ、点だけ視てたんじゃたぶん勿体なくて

ちゃんと全てを感じれるようになると
とても優しくなれると思うのですね。

そうなりますとやっぱり僕の中では
偏在というのは価値観で
臨在というの世界観なのだと思ってまして
出来たら僕の内面は世界観を感じて
奏でたいなと思うのです。
もうだいぶと歳とってきましたから。
少しでも神様が喜ぶ事をしたいのですね。

ほんといいますと
娘にコーヒー作ってとお願いしたら
一発で断られて、ムカついて、イラっとして、
必殺変顔でストーカーして遊んでたら、一緒に遊べたから
これは!内面と音楽の繋がり方は似てる。
この発想に繋がったのだと思います。

娘にしたら
変な音楽だったでしょうけど、僕は奏でれた。
このような事を頂けたから考えれたんだと思います。

誰がどんな音楽を奏でてても自由で
包容はまた大きすぎるから難しいのですけど
許容と寛容は割と楽に奏でる事適うんじゃないかな。

だから、何時までも同じ音しか奏でれ無かったら
聞こえるだけになるのはしょうがないよね。

耳を澄ませばほんの小さな伝えたい音も在るんでしょうけど。。。
中々難しいです。。。

そんな風に思います。

因みに↓の音楽は配布してくれてました無料ソフトで僕が作ったんですけど、死ぬほど一人でやって来て疲れた感が出てます。
疲れた感ならいい感じ

それでもこれからは
主旋律はだれもかれも自分でいい
でも加えて
沢山のパートや沢山の人が想いが神の御霊が
寄り添い参加して、
賛歌を奏でられそれが聴こえ続けれたら

普通にエグイナと感じてます。

主線でもパートでも与えられたら
その様に感じてやろうと思ってます
昨日の様に
きっともっと取り戻せるはず。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ それでは 今日もありがとう御座いました。お休みなさい。