2019年03月15日

朝の日 夕の日

朝の日、立ち昇る御父の顔
その気迫、子らに降り注ぐ

日の中に在っては
起こし、耕し
手に成る種は全て捲き
枯れる物は枯れ、芽吹く物は芽吹く
日の生業を御霊に委ねた

夕の日、瞼を撫でる手舞い降りる御母の手
柔らかく子の痛みを包み労う

夜露が固い種をも濡らし芽吹きへと導く

そうして夜明けを待つ事無く
夜をも迎え入れた

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何時も大人でなくてもいいですよね
そんな風に思う日でありました。

と、いいつつも
悩み葛藤あるからこそ

人という字は絶える事無く描かれるんじゃないのかな
そんな風にも思います。
繋がっているけど分かれている有様

分かつと言えば

肉まんを2つに分けて
大きい方を貰ったり、あげたり
丁度半分だったり
互いに食せたので
ちょっと足りない恵は
満ち足りていました

与える・教えるは恵まれた栄光が内に向かうので
僕は苦手です。

そういう奴です。

今日の詩は、分かつを含めましてカトリックとプロテスタント問わず
異端とされた方々、子とされる方々を想って描きました。
自分の生業も含めまして
(^^;)

大きい方の肉まんを頂いたのなら
さらにそれを分かち合えば互いに増える
二匹の魚と五つのパンの奇跡を僕は信じています。