2019年08月05日

1%の福音

この国では十字架の愛を感じる方は全国民の1%未満です。

これを少ないと捉えるのか、どう捉えるのか?

愛する兄弟姉妹の方々

先ずは、捉えるであり、捕わるではない事をお伝えしたく書いています。

1%に到るまでの道のりに想いを馳せます。

ここには、あらゆる 先輩方の 我慢。忍耐。練達。練られた品性。愛が働いてくれた事と私は捉えます。

たとえ1%であったとしても

この国の絵面に描く事が適ったのです。

これを、喜んでおる次第で御座います。

私共の目的は何でしょうか?

罪・咎・憂いの心内を自己の努力。また、他力により取り除く事でしょうか

罪・咎・憂いの壁を超えて到る場所に居る事ではないのでしょうか

また、数による波で、小さな波を押しつぶす事でしょうか

私達が幹であり、他は枝であるとほくそ笑む事でしょうか

今一度、私は探ります。

誰が幹でも枝でも良いのです。

華が咲き実りを見る事が出来れば、それは御心に添う事になるのではないでしょうか

今一度、私は探ります。

あらゆる裁きは、罪・咎・憂いの中にいる

壁の中にいる方々の叫びでもあります。

その場所に何時までもいるから、何時までも裁き続けるのです。

何時までも積み上げては高さを競い誇るのです。

愛する兄弟姉妹達へ

その様な事で、十字の愛を自我の枠の内に留めない様に共に行きましょう。

出来る、出来ないではありません。

行きましょう。共に行きましょう。

これなら振り返って手を出せますし、前を見て駆け足も易い事で御座いますから。

思い違いをしてはいけません。

私達は高みを望むのではなくて、あらゆる場所に希むのです。

十字に掛けられた方の様に。

※いやぁ。まぁ。なんというかこういうのを、数じゃなくて一人でもやろうと思ったりしています。(笑)