2019年11月15日

2つある信仰心について考えてみました

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 皆様こんにちは こんばんは

本日は、2つある信仰心について自分の辿った生い立ちからの考察とそこから視えて来た物について書いておこうと思います。切っ掛けは想い出の冊子の中にある久々に受洗証明書なるものを確認する所から始まりました。

1999.10.3に僕は洗礼を受けました。今から20年程前ですね。もうそんなになったんですね。いやぁ~、時が経つのはとても速い少しはそれっぽく成ったんやろかな・・。と、思いつつ・・。

タイトル通りキリスト者の方は2通りおられたという事を書いてみようと思います。これは何をどの様に信じて歩まれている方であっても共通する部分もあるんじゃないかなぁと感じている次第ですが、選択の余地を考慮して余しておきますと全てを2分出来る訳ではありません。

さて、一つ目のキリスト者の在り方ですが

(完了した あなたは私と共にパラダイスに居る)

この言葉を持っている方々と

(悔い改めよ、悔い改めよと 自他に問う方々です)

先に後者のお話をしますね
この様な信仰を持つ方は受けた傷が深いです。はっきり申し上げまして僕もこちら側でした。傷の深さは事象の大きさじゃなくて受ける人の耐性によって全く違いますから比較する必要はありません。そこは願わくば御理解して下さい。

ですから悔い改めよは、自分ではなくて傷を付けた方々に意識が向かいがちになるんです。その選択の方が自分の今の命を繋いで保事する事が出来るからです。実はこの信仰の持ち方。これも大切なんです。理不尽や狂気に刺された方の拠り所でもあります。

それから、もう一つの在り方。
もうそれはいいから、私が何とかするからあなたは喜んでいなさい。この様なキリストの言葉を涙を持って信じる方々も居られました。これが前者の方々の歩み方や在り方、捉え方です。

この様な方は僕の居た環境では少数でもありました。その方々は毎週お会いしても何も悩みが無い様なとても素敵な笑顔を贈っておりました。僕と同じ場所に来るのに無い訳ないんですがね。それでもそうですね、僕は苦手意識が芽生える位救いの実感を持っておられる方でもありました。苦手ですけど嫌いじゃない。その様なその方の御顔がもうハレルヤその物でもあります。ですから温度差は兄弟姉妹の間でも当然生まれます。僕は後者的な信仰から入ったからですね。

それでも、どちらでも信仰の選択は在っていいんです。いや、無いといけないんです。(神はキリストは言葉は)闇内に居る人を捕る漁師その物だからです。片方だけで救いに至るとは考えておられない。僕はそう捉えております。

その様な訳で、今その双方の心情を知る僕としては前者で在りたいと想っています。

理由は長き歩みの中で僕にとっては簡単ではありませんでしたけど、僕が何時までも悔いてたら神様は喜ばないからですね。また、何時までも悔いを隣人に求めていたら共に喜ぶ時間が家族であれ誰であれ減ってしまいます。ともすればその可能性(完了した あなたは私と共にパラダイスに居る)この言葉の可能性すら信じれ無くなってしまうからです。これも神様の御心を無にしてしまう事にも繋がります。それからもう一つ、悔い改めは人が促す事じゃないし自分の魂で気付く事だからです。

そこから少し前に進むと許しは片方だけが許す事じゃないという場所も視野に入ってきます。たとえば犯罪者の方で再犯する確率が高いのは
ずっと許された実感が持てずに責められ続けたという感情を離せない方でもあります。刑務にあたる方も自分の持つ内面の闇が許されている事が前提に無ければ犯罪を犯す方に愛を持って許しを伝える事がとても難しくなります。罪の本質を共有しているという事ですね。ここに過ちから逸脱出来る一つの可能性があります。

許しというのは双方向に働く対等の神の恵でもある。僕はそう信じています。私がゆるしてやった・・。その様な片翼は誰の救いにもなりません。そこにはある程度の魔が入ります。傲慢や憐れみ。あらぬ隙間も生まれ留まり続けます。そこにだけは距離感があってはならない僕はそう信じています。

その様な訳で今の僕は、もっと、もっと、もっと救われた事を喜べる様になりたいのです。神様の為、自分の為、隣人の為にです。これで人の罪を問うてくる闇を押し潰したいと思っております。これは自分が如何に品行であり人格者であり滑らかであるという事を証するのでは無くて僕も許された者として忍耐強い神の愛の内に留まっているだけ・・ただそれだけという場所を証する事でもあります。そうして人と人との間に生まれる摩擦熱。競争に終わりが告げられると思うからでもあります。ですから神の愛の内にあるのなら月の様にその形を変える人柄の満ち欠け云々は余り僕にとっては大きな問題ではありません。

こちらの讃美歌は、そういった視点から視ると僕にとっては喜びに満ち溢れております。昔の在り方、方翼の自分を証するだけの僕は冒涜だと思ってましたけど今は好きすぎて、活き活きしまくってしまいます。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ それじゃ!!今日もありがとう。
もっと、もっと、神様の愛が絶える事無く溢れます様に

クるしみも
リふじんも
ス的な場所へと
マっ直ぐ通じる道
スべての愛を求める世界の人に

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ そんな感じを頂きますた (笑)