2019年10月16日

乗り越えられない試練は未だ来ていない

昔に、そうですね。アナログTV の時代に見たドラマで、今でも好きなドラマがあります。

そのドラマのタイトルは (仁)です。

余りにも有名で皆様も御存じだと思います。

余りに好きすぎて

実際そのBGMを使って動画を上げてBGMが著作権に引っかかってボツになりました。

不徳の到る所でもあります。ゴメンなさい。m(__)m

 

さて、

人は二人以上で仁になるという、なんだかとっても温かい漢字が主のドラマでしたですね。( ´艸`)

そのドラマの中で、僕が一番驚いたセリフは

(神は乗り越えられない試練は与えない)でした。

これは、聖書の言葉ですけど、公共の電波で聞いたのは当時初めてだったのでとても、とても、とても驚きました。w

実際には他にもあったかもしれませんけどね・・・。

 

いきなりですが

ここで大切だと僕が思うのは

人を抜いたら

二になるという事です。

漢字の成り立ちをこじくり廻してなんだかあれですけど

一番でも無く、二です。

ただの二は他に一が居る事を暗示しています。

その一は誰なのか?、何なのかは?個人の御判断にお任せ致します。

 

それから

ただの二に人を交えず 少し長い下支えの 棒を抜いたり 踏みつけたら

一になりますね。

 

もし、これに成りたいのなら それでも受け入れます。点で視ない様に務めて務めます。

ただそうなると

二番でもいい。いやむしろ三番でも良くないですか?

一を望む方の必要性を感じて、二番でも三番でも同じ場所に態々居て下さる方がおられるのですから。

ただそれだけの、その場所にです。

 

いやいや、そうではなく、仁に成りたいと思う方がもし、おられましたら

僕は順位ではなくて人を迎える。。

価値観が釘さす心ではなくて人に触れる。。。

その様な事を迎えて視るなんてどうでしょうか。

 

恥ずかしながら、こう思うのは

僕自身はもう、一人で乗り越えられない試練は無いと思うのですが

まてよ・・・、実際はそうじゃなくて

神様の愛故に

むしろ、一人の自分だけでは乗り越えられない試練は未だ来ていない。

この様にも捉え直す事が出来ると思うからです。

 

もし、その様な試練が来たのなら、仁を忘れない様にしたいとお祈りする一日でもありました。

感謝といいますか。実際に遺る感動は仁愛・・ここにしか居ないからだと少なからず思うからです。

これは試練では無くて恵から頂いております。

 

これをもし、忘れたら。。勝っても、飼われて 負けます。負け続けます。

世ではなくて自分にです。

そしてまた新たな勝鬨の音を求める事になります。

これが癖付くと自分を守る戦いは終わらないのですね。

喜びがずっと鳴ってくれない。伴わないのでこれは解ってます。

 

ですので、ぶっちゃけますと

誰が一番でも二番でも三番でもその枠から私達は出ます。

そうして、愛と友

この二文字で成り立つ仁友堂が出来たのではないでしょうか。

美しさが伝染して、出来たとおもうのです。

仁友堂

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ それじゃ。今日もお疲れ様でした!!みんなガン晴ろうね