2019年10月08日

ゴールと着地点

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

昨日2つの言葉がふいにやってきて居座りました。

言葉が居座るって誰でもあると思うんですが、どうなんだろ(^^;)

その言葉とは、ゴールと着地点

似て非なるこの2つの言葉がおるので、考えてました。

すると今日、なんで昨日来たのか解る運びとなります。

やっぱり、あれやね、そういうのって偶にありますね

これを今日お届けしたいので書きます

どれだけ齢と経験を積み上げてもこの2つの言葉の扱い用で視界が少し変わると感じます

どれだけ人が罪・咎・憂いに捕らわれても、そこがゴールの様に魅せられても

そこは とてもとても長くて暗いかもしれないのですけど

着地点でゴールではないかもしれないです。

ひょっとしたら、ありもしないゴールからゴールに到れない自分を視ている可能性だって充分にあると思うのです。

ありもしないゴールを作り出しているのは、内面の罪・咎・憂いと誘いであって自分ではないかもしれないです。

僕も今より若い齢の時程ではないにしろゴールから自分を視ているときがあり

妖光が一瞬付く瞬間があります。

直ぐに消えるとはいえね。羨ましさも完全に消える事は無いかもしれない。

だからこうして藻掻いて書いているのかもしれません。

妖光は羨ましさだけでなく、また逆もありますよね。

全然羨ましくないという妖光

ゴールから他人を見てる時がそうですし。ゴールから他人を視られている時がそうですね。

順位が決まっているその場所からゴールはここだからと誘われる時の違和感ですね。

ん~。まぁそれはとてもデリケートですから

デリケートに扱いますとですね、失礼の無い様に

そこはゴールではなく通過点か中継点に僕自身は置き換えさせて頂きたいのですね。

その様に感じます。

(浅いのですぐまとめますw)

自分でゴールを決める
人にゴールを決められる
その様な誘いはずっと続きます

そんな感じでしょうか。

なんだか薄暗くなってまいりましたので
最期に一発だけw

着地点からドンッって飛べる可能性と見える景色がドヒャーッとなる事は絶対あると思います!!

ゴールから希望は生まれにくいのかなぁ。。なんて思いました。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 色々ありますよね。んじゃ お休みなさい。

( ゚д゚)ハッ! 今気付いたんですけど!信仰・希望・愛の内で初めて希望に付いて書けたかもしれない。www