2019年10月06日

中途半端な愛

感じて発した言葉に導かれる。
その様な事がままあります。

一昨日は中途半端な愛は無い。
こんな言葉をパクって動画で歌っていました。

いや、まさに。
カミさんは動画を観るなり、直ぐ消したそうです。www
何でも、私の動きがガガンボの様で、言葉よりも先だってガガンボに心情を埋められたそうです。

なんたる・かんたるの、あの、そのの失敗だすけど、
ガガンボと来るとは、胸が痛くなる(笑)いを頂けました。
写真の様に僕はアップしようとしたガガンボの動画を未だ温めています。(笑)

そんな平和な日曜日からこんにちは!

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

( ゚д゚)ハッ!

あ、そうそう。そうじゃなくて 中途半端な愛だった。w

その昔、昔にとあるところの教会で洗礼を受けた僕は愛の美しさに触れてまして、そこは自分の目指すべき道でもありました。
今は、道では無く場所に変わりましたけど、こうなりゃもう、どっちがどっちでもいいのです。w

教会には大きく分けて2種類程の派閥というか解釈というかそういうのがあります。
互いに一方を正として一方を負とする、何とも言えない中途半端な愛が今でも在ります。
御多分に漏れず僕も片翼で育ちましたから全然飛べずに切り揉む日々を過ごす事になりました。
どの様な事象や思想でも在る内の片方を否定するとその様な事が起こりずっと飛べずに居る可能性が生まれます。
たぶんだけどw

そんな僕を引っ張り出してくれた言葉は完了したというキリストの言葉でした。
信仰上の事ですから、伝わるかどうかわかりませんけど、これにて僕は両翼を得る事になってます。

なってるのですから、まぁ。なってるんです。www

例えば一つの派閥は

片方が偶像崇拝をするなという言葉が教えの中にありますのでこれを主張しますと
これに対して偶像崇拝ではなくて崇敬だと、もう片方は主張を繰り広げます。
これもね
完了した。
この愛で充分過ぎると僕は思っています

崇拝の中に居心地や安らぎを感じ取れるならそれがとても大切で
崇拝をしない事に安らぎや居心地を感じれるならそれは同じ様に大切な事だと僕は思ってます。
何か当たらないかなぁと・・金属バットをぶん回すんじゃなく
あ、でもスイングスピードと筋力は付くか・・。w

崇拝は自由を無くすという価値観もこれと同じで、
崇拝の中に自由を感じ取れる人も居ます。
居るんだからいいのではないでしょうか?
という立ち位置です。

スナフキンがティーティーウーに言った言葉
誰かを崇拝すると自分の自由を無くすよ。この言葉の真意は
自分が崇拝されるとスナフキン自身の自由を無くす事になるからティーティーウーに止めて!と伝えた言葉です。
これを受けてティーティーウーはしょんぼりと去ろうとしますが
直ぐにスナフキンはティーティーウーの自由を奪った事にも気付いて名前を付けてあげていました。
最初は明るく、最後は悲しげに・・。君の名前はティーティーウーでどうだい?と。。。
スナフキンの愛を感じる一幕です。切り取っちゃもったいないのです。

因みに僕はティーティーウーと家族に呼ばれてキーホルダーも貰った事があります(笑)

連呼されて、僕はそれに合わせて躍った事さえあります。
最初は明るく、最後は悲しげに・・。(笑)

同じ様に
ニューエイジ思想から派生した口寄せも救世主の否定も
キリスト教の教義の中では大ブーイングです。
私はキリストを口寄せして語りますとか、
もうキリスト教徒の人はめちゃ怒っちゃいます。w
理由はめっちゃ簡単で
キリストが口寄せはダメだよと教えたからなんですね。
何故ダメかはくどくなるので置いといて

ですから、教えた本人が
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!
じゃねーよ!!
そんな訳あるか!ありえないのですw
笑いなのか?忍耐なのか?何なのかを強いられます。
どうなんだろwww?

でもね
それも、完了したという事ですから
そういうのも奪っちゃいけない。

また、
北極は冷たくてもカマクラを作って温かい
赤道は温かくても物が腐りやすい

明るすぎる光も暗すぎる闇も
視界・視点・視野を僕は奪われてきましたから
こんな感じも、こんなトンチンンカンな歩みでも許されていて
これも完了しています。

逆に言いますと許しの無い世界の方が僕にとってはおとろしいのであります。www

さて、
僕は両翼の飛び方を好みますが、
これも色々ありますよね。
ロケット、気球、ブクウジュツ、ゴリアテ、
誰も踏んずけないで
好きなので飛び行けると思います。

①ぼくは屋根の上から愛の場所を目指してフラフラと飛んで行こうかなと。
②偶に思考を停止して美しい景色や音楽に酔っていたいなと。
③中途半端な愛に成らない様に、これからもガンバロウと。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 今日もありがと さんでぇいでした。