2019年07月16日

僕は楽しむより喜ぶ方が向いている

今日も頑張っておりました。蒸し暑い日が続きますね。本日は特別な事がありましたので、どんな事かを綴ってみようと思います。

 

いきなりですが、どう頑張っても僕は楽しむ事が苦手な人間です。自分なりに楽しもうともがいて発信したり色々やってきましたけど、やったことを殆ど覚えてないですし直ぐにその輝きは無くなってしまうからだと思います。

 

これには理由がありまして、自分が受けた凄惨も他の人や歴史上に起こった凄惨も在る上で、人生は楽しんだ者勝ち。楽しんでる場所に人が集まり、楽しまないと勿体ない。。言っている意味は解るのですが僕にそれを履行できる能力も感性もありません。

 

どうしても、僕は今は居ないのですけど、愛し続ける方々が絡み続けていますから、凄惨の後の救いが無ければならない。自分は信仰を崩してはいけない。その様に意地クソでも立ち続けまして、凄惨の後の救いは僕で出来る訳ありませんから、常に壁に貼っている聖句(私の願うことではなくあなたのみこころのままをなさってください。)これを毎日見ては祈る日常を送ってきた次第で御座います。

 

今日はこれに対する一つの答えを頂けましたので書きますね。今日僕は凄惨を受けた方からなのか神様からなのか解りませんが、僕が一番自由を感じていた感覚を取り戻す事が出来たのです。

 

それは僕にとって学校という枠からしばし解放される休み前の感覚。終礼が終わり明日からここに来なくていいという感覚。何も評価されなかった絵画や作文を手に一杯提げて家路に着く感覚。

 

なんだか、とても暗い奴ではありますがwww。 この時、目の前に拡がってくれた無限の自由と開放感を何故か今日取り戻せたのであります。言葉ではなくて、感覚です。これはマジで。宿題の無い夏休み。

 

なんでだろ?この感覚を考察していますと、キリストが最後に遺したことばがあります。(かんりょうした)この7つの文字で7つの大罪が自他共に帳消しに出来た言葉をあなたはもっと信じた方がいい。その様にも捉える事が出来ますし、また、凄惨を浴びた方々からはあなたは、世に在って楽しむ事が不得手なら、私達は大丈夫だからもっと喜んでいいんだよ。先ずはこれをあなたにあげる。その様にも受け止める事が出来ます。

 

この様な恵の中に在りまして、僕は楽しむより喜ぶ方が向いていると思いました。楽しめなくても喜べる。あ、僕はですから・・楽しんで居られる方を見ると僕は喜びます。そういう感覚を頂ける一日となりました。

 

(@^^)/~~~今日もありがとう。お疲れさまでした。