2019年07月14日

共に喜ぼう

僕は今まで3回と3人だけですけどこの人は愛の一部として居る。存在しているとお会いして感じた事があります。一人の人はその時、瞬発的にその様に満たされたのかもしれませんが後の二人は毎回会う度にそう感じました。会話は挨拶程度だったんですが、その雰囲気は初めて触れる物でもありました。2人の人は信仰者の方でもう1人の方はそうではありません。時間も約25年という長きに渡ります。

こちらのリンクはその2人を想って綴りました。
実際にもこの様な方々でありました。

10本の花

また、私にとってはもう1人の人が信仰者でないという事実が強烈に働いてくれまして聖霊充満という固定観念が壊れていく次第でもありました。

この事をかみさんに告げますと、かみさんはそうでもない様でしたので・・あ~私と身近に居てもお互いに感じる物が違うんだなぁ。少し残念な気持ちと嬉しい気持ちが織り交ざりました。w

何故この様な考察に入るかと申し上げますと先日、下記の様なメールを頂いたからです。

「 屋根工房 きのした 」の皆さんが、救いの神に見えました (o^^o)
大げさではなくて、本当に感謝です

おそらくですけど私達を通して神様の愛を感じられたんだと思います。
(^^;)

この結果を、自慢しようという事ではないんですね。私共より慈愛に満ちて、心底業務に没頭している方もおられるとは思うのです。瞬発的にでも恒常的にでも。

でも、感じ方が人によっては違うから、無用な落胆は必要ないのです。
これをお伝えしたかった次第で御座います。

冷めきった体の時は熱いお風呂に愛を感じるかもしれませんし
熱くなった体の時はぬるま湯に愛を感じるかもしれませんから

う~ん。w
でも僕はお風呂場その物の様な人を見た事がありますから、そういう人も居ますので、そういう人と出会ってほしいなぁ。。これもちょっと願ったりしています。

もちろん僕も、まだまだ自分自身を諦めた訳ではありませんから、先ず出来る事は

「 屋根工房 きのした 」の皆さんが、救いの神に見えました (o^^o)
大げさではなくて、本当に感謝です

ここに神様の愛が働いてくれたという事実と認識をメールを頂いた施主様と私達で噛みしめておこうと思いました。

共に3者で喜ぼうと思うのでした。それは両翼の付け根そこにこそ油満たす様に。
油とは神様の御霊の事です

信仰と愛と希望は場所の事だと思います。
点でも線でも面でも立体でも結晶でもなく
ましてや感情を諫める教えでも律法でも無い
出来る人、出来ない人を区分けする学問でもありません

唯、在ってある場所の事だと。救いの場所であるのだと。

(@^^)/~~~長々とありがとう御座いました。