2019年06月29日

キッスは目にして♪公場と公道と私道

 

そろそろ夏祭りの兆しが蒸し暑さと共にやって来ております。そんな本日は公場と公道と私道について私が今頂いている世界観を持って考察しておりました。公場というのは造語ですので雰囲気だけ御理解頂ければ幸いです。

 

夏祭りと言えば夜店や盆踊り、様々な衣装、好みの価値観を纏って公道を通り公場を練り歩く多くの方々が集まります。この様を人間の目に置き換えますと、この写真では丁度青い部分が公の場にあたり緑の線や白線は公道に置き換える事が出来ます。

 

ここから拡げて参りますと

 

公道は公場の中に包み込まれている。言わばあらゆる価値観が生む公道は公場に包まれていると感じ取る事が出来ます。また、黒く映っている箇所は罪や闇を現している様に見え、これを内包しながらでも織りなす公場は張り巡らされた公道によって罪や闇に切り崩される事なく存在を維持出来ています。生まれ落ちた環境や育った環境、営んで来た常識。必ず個人差が派生する罪や闇の深さ重さの感じ方があるが故にそれに応じたあらゆる公道が生まれる様。その様にも感じ取れます。

 

この様に公場とはどんな価値観を持っていてもよい場所と捉えられますから、どの道を信じてもどの道を選んでもいい。ただ一つ、私道は元より公道は全てを包む事は出来ないという事もたったこの一枚の写真からの考察に過ぎないとはいえ、私にとっては事実ではないかと伺い感じ取る事が出来ます。

 

ずっと長い間悩んでいた言葉がありまして、それは(お前の道は道じゃない、自分だけの道や)この言葉の行先は何処に繋がるのか?道の行先は何処なのか?漸く自分に落とし込める事が出来ました。

 

私にとってはとても大切な事ですがやはり道と場所はまるで大きさが違うんですね。場所あっての道であると思います。ですから公道を歩みながら同時に他を受け入れ歩む事は非常に困難を極めます。逆に他が公道の内ならば受け入れる事はとても易い。私も自分が信じる公道の内に在り続けましたから尚更この実感は現実味を帯びて参ります。

 

受容する。受け入れる

 

表面上のみならず、これが出来ればどんなに素敵な事で幾多の方々が救いを見出す事が出来るか計り知れません。ですがそれは道の役割ではなくて、やはり場所の役割ではないかと私は日ごと感じ増し続けています。

 

そうしますと設定は何でも良いとして、先ずは自分自身が盆踊り、夏祭りの会場にいて各々好きな価値観をもって各々好きな衣装を身に纏いその場所に包まれているという実感が先立ち満ち実るのなら、私にとっては無理に心をこじ開けたり、無理に公道の枠を広めることよりも、受容する。受け入れるという行為はそんなに難しい事では無くなります。むしろ、華やぎ賑やかで焼き醤油の匂いと滲む灯がより心を湧きたててくれたりもします。

 

そして最後に

 

公道に居る事も出来ない方。公場に居る事も出来ない方。また、その様に誘導を受け続けた方々。誰からも何からも愛されず阻害されて出来てしまった私道であり黒道。公道も公場も他の私道をもなぎ倒して行く先に在る物。これを包んでいるのは白光している場所。全てを包んでいる場所。そこは愛に満ちた神様。私にとっては十字を持って黒を灰色に変えてくれた方の居る場所であると信じています。

 

黒を滲ませ共に灰色に・・その為の白だと信じます。( ´艸`)
不思議な事に書きながら頂く言葉もあるんです。アホっぽいのですが書いててここが一番気に入っちゃいました。w キッスは目にして♪今日はそんな歌もこのフレーズだけ思い出します。( ´艸`)

 

つらつらと書きましたけど目ってなんだかとても小さくてとても大きいんですね。その様に感じます。また、自分が今日、明日、明後日この瞬間、何処に居て何を視ているのかも客観視し易くなると思い記しました。毎回ですけど私にとっては書く事による恩恵は測り知れません。想像から書き起こしている間にも沢山の言葉を頂けるからです。

 

自分の場所を みつめる事も頑張ろう ( ´艸`)
どちらかというと私は蛙というか羊ですけど・・・w
何が何でも~♪世界位置!!

 

(@^^)/~~~今日もお付き合いくださってありがとう御座いました。
あらゆるお勤めお疲れ様でした。☀