2019年03月20日

筋を通せ!!

筋を通せ!!
いきなり荒っぽい書き出しです。
任侠道みたいな書き出し。

その通りだと思います。
それでは、僕なりに筋はどうすれば通るのか書きます。
こんな事ばかり考えてます。

先ず筋の本質です。
倫理感や教義や教えの事ですね。
それなりに誰でも持っている感覚です。

これを通さないと自分が安心出来ない
これは私もそうなので解ります。
それでも自分が安心する為だけに他の方が存在してる訳では無いとも思います。

そうしますと
倫理感や教義や教えは元々それ自体で筋として完結してますから
筋を通せ!!という感情
筋の役割から逸脱してしまった感情
これは筋の中に筋を通すよな事ですから非情に困難を極めます
また、完結した物を一度破りそこに入れ通す様な物ですから痛みを共にしかねません。
なので筋を通すには、筋以外の他の器官が必要だと私は考えます

筋と他の器官を共に心内に働かせる場合には
筋が働いてくれるスペースが必要で
余白や余裕がある場所が必要。その様に捉えています。
余白や余裕が筋と共に働いてくれる器官。その様に捉えます。
そこを共にして漸く筋は筋本来の役割に到ると私は思います。

筋を通せ!!と仰られても
筋だけでは筋として機能しないと私は思っています。

もしその余白の無い時に
筋を通せと提案してもお互いの筋が伸びて痛むだけで
むしろ落胆しか招きません。

筋を通せと言う前に
筋が通る余白や余裕をどうすれば作れるのか
そちらの方が遥かに大事であると僕は思います。

筋が通らぬと嘆く前に出来る事は何かないかな。
ある。。きっとある。
それが信じるという事だと思います
形を問わない救いだと思います。

出来る事は出来ない事も含まれていて
出来ない事は出来ている事も含まれている

そんな余白を必死に見つめて
それでも尚、膝を何度も私は付いてきましたから
そこに関しては委ねている次第で御座います。

僕に出来なかった事は
きっと他の誰かと共に神様がなんとかしてくれる
この様な信仰を僕は持っています。
涙を持って向かっても今はダメだった事も沢山御座いましたから。

けれどもその様な過去に
筋を通せと物申せば
自分の余白が無くなってしまう。。。

それではこれからの僕の筋が通らないと思うのです。
今でなくていい。その様な期待は自他共含めずっと絶えません。
(^^;)

私の筋にはもう描ける余裕は無くても
余白の中なら余裕を描ける
そんな風にも感じます。

私は
信仰・希望・愛を描きたいです。
これが筋と共にしてくれている私の器官とも言えます。
m(__)m


本日の最後。

あなたが一体何者だからといって
裁くのですか。神はその人をも愛し許してくれています。

この言葉をかみ砕きますと
たった1人でも、例えそれが人でなくても
老若問わず愛された方を裁くあなたは
一体何者なのですか
愛の内に居ながら外側にも居れるのですか
愛した方の愛、
その愛諸共をあなたは裁いている事になります。
愛の内に留まっていてください。

という事を伝えたい言葉だと思います。

時が余白を置いてくれる時
私は耳が痛いどころか
全身が砕けて時に痛くなります。…( = =)
けれども、この言葉が
まだやれる余白と可能性を僕に作ってくれています。
私もまた、愛されているのですから。

今回の記事はこの言葉へのアプローチともなりました。
(^^;)

今日もまた
どうあがいても負ける
負けると解っていても
次にバトンを渡したあの時の若者の必死さが伝わってきて
ほんのりしています。というか泣いています(笑)
私も日々何時もスタート地点に居れる事に感謝しています。
m(__)m

(@^^)/~~~何時もホントにありがとう御座います。