2019年02月17日

誰の責任でも無いから救いがある

心優しい方へ

何気ない言葉や態度は怒りを生み出してしまう。
そんな時もある
怒りの内に在るならまだいい。
それは忘れる事が出来るから。

何気ない言葉や態度は傷を生み出してしまう。
そんな時もある
傷の内は中々癒えない。
それは忘れる事が出来ないから。

好きだったから
愛していたから
怒りではなく傷になってしまうんだね。

好きになった回数が多い
愛して来た機会が多い
そんな人こそ傷も多くなる。

時にそれは
恐れや不安や再度の感傷を嫌う事にもなるけど
何よりも
好きになった回数が多い
愛して来た機会が多い
また、
とことん一つを好きになった
とことん一つを愛した

傷つく前のあなたは
そんな人だった。
傷が付く前のあなたは
そんな心優しい人だった。

元々のあなたは
傷の上には居なかったんだ。

人は皆
眼が開いている時、閉じている時
耳が開いている時、閉じている時
窓が開いている時、閉じている時
または半開き

同じ状態を常に維持出来ない弱さもある。
だからどうしても
意図の有無を問わず、傷を付けてしまう事もあるし
傷を付けられる事もある。

傷の上に居たあなたはそれを知っている
誰の責任でも無い事をあなたは知っている
誰の責任でも無いから救いがある事も僕は知っている

だから
心優しいあなたは傷の上にはもう居ない。
傷が癒えないのなら
傷のある場所から自分を逃がしてあげれる程
あなたは心優しい人だから。

傷を付けた方の未来に備えられている場所を望む程
あなたは心優しい人だから。

自分を逃がしてあげた場所からなら
また頑張れる事もあると思う。

その道その場所その数は無数にある程いいと思う。
助かる人。救われる人が無数に生まれる方が絶対いいと思う。
切に想う。

(@^^)/~~~本日は写真の言葉から書いてみました。
(私の願う事ではなく、あなたのみこころのままを、なさってください)
という言葉です。

部屋に貼り付けていますので、アホほどこの言葉を考えてきました。

教義の中には、上記の様な言葉の後に
カナンの地
乳と密の流れ出る地
こういう内面を捉えた場所があります。

でも

( ゚д゚)これはぜってぇ~一つじゃねぇな。◎
と、あられもなく感じています。

教義も自浄には大切だけど
幸福感や安堵感や存在感
人それぞれで違う安心を感じ取れる場所の方が遥かに大事だと
心の板に焼き付いて来るので御座います。

この様な文章も届くといいな。伝わるといいなと思うけど
例えそうならなくても
良い言葉を届けたいという自身の心持ちの方が遥かに大切だと
心の板に焼き付けている次第で御座います。

そうしている内に解けていく事もあると思います。
因みに今日、僕が頂いた言葉はコレです。

誰の責任でも無いから救いがある

僕は長年持っていた考え方が変わりました。
三浦綾子さんの塩狩り峠の中に出て来る牧師先生の罪の捉え方を今までずっと持ってましたけど今はそれを手放しました。
罪からの悔い改めでは副産物が余りにも多すぎるのです。
信じる者の希望を削ぐ程の副産物が人の個人差の内で働いてしまうと僕は思います。
副産物は更なる副産物を生みかねません。
もちろん解釈の違いでありますから
私が真理を持っているなどとは一片も思っておりませんし、
命の宿った作品であるという敬意は絶対に消えません。
(^^;)

(@^^)/~~~今日も見てくれてありがとう御座いました。