2019年02月04日

あ~・・おぞましい (笑)

(@^^)/皆様こんにちは。
こちら昭和51年。ヒラがな交じりの。まぁええやん感がなんだか温かい。
なんかこういうのが好き💛

さて
今日はこんな絵を書いてみました。

心と魂
魂と魂
心と心

どこで触れあっているかの相関図です。
因みに背景は愛を意味しています。

僕はこの接点で必要な言葉の量も質も変わってくるんだと思っています。

例えば、僕は過去に初対面の方に(御苦労様です)何気なくそれだけを吐いた事がありました。
本当にたったそれだけだったのですが、その方は感嘆して崩れそうになっておられました。
(御苦労様です)
その時にはこの言葉だけを無意識下で欲されていたんだと思います。
貴重な体験をさせて頂きました。

ですので

魂が震えて心が動くのか
心が震えて魂が動くのか
両方同時に震えるから涙するのか

本当に一筋縄で縛る事は出来ないなぁ~と実感しています。
人の内面は本当に難しいと痛感しています。

また、触れあった際に生まれる根幹としての感情を表す喜怒哀楽

喜怒哀楽の分かち合いの中でも
何を分かちあったのかによって相関図も少し変わって行くのだと思っています。

僕の場合は個人的に哀しみや悲しみを分かちあった触れ合いが最も深く心と魂に根差しています。
何故そうなのか?
理由は解らないんです。
ただそうだから、そうなった。
それしか説明が付きません。

他界した父は私の哀しみを分かち合い共に泣いてくれた事があります。
7歳の時には涙を持って叱って下さった事もあります。
父が泣いた時、当時の私は天幕が裂ける程の衝撃を受けました。
前述した(御苦労様)
おそらくは、これと同じ様な働きがあったのだと思います。

決して測る事ではないのですが
どの様な愛も本質は同じだと信じて疑いません。
ただ、
哀しみや悲しみを分かち合う愛が
僕にとっては一番難しくて尊いんだと思いながら
自分を見つめています。

ですので僕は人の哀しみを共にしてくれた
十字架と父が・・・

そりゃ~もう。

おぞましい程、心と魂に根差しているのです。

あ~・・おぞましい (笑)

ここはできましたら、笑って頂きたい所です。。w

本日の最後に

喜びは届け合う為に
怒りは自分の内面の壁を超える棒に
哀は分かち合える自分に成れる様に
楽は明日へのちょっとした期待

ただ、自死を見つめる位なら怒り捲ってほしいです。
怒っている間は自死を見つめる眼から解放されると思うからです。
怒りはその為にも備えられていると思います。
怒れなかった学友を今想っています。
及ばずながらも、そんな事を考えてました。
m(__)m

全く纏まりの無い振り子みたいな文章でクタクタされましたら
申し訳ないです。(^^;)

(@^^)/ 今日もありがとう御座いました。
皆様に良い事が溢れます様に。