2019年01月11日

視線と眼差し

皆さんこんにちは
おすましとお餅をもっと食べれば良かったと後悔してるオッサンです。
(^^;)

今日は、視線と眼差しについて考えていました
考えるのが好きで、アホみたいに好き(笑)

で、視線と眼差しって少し違うかなと感じています。
僕が好きな存在に神様がいますけけど
たぶん、神様は眼差しを多用していると思っています。

例えば
めちゃくちゃ有名な人にマザーテレサという方がいます。
この方がどういう人なのかは御自分で調べて頂きまして説明は省きます
また、
犯罪を犯した方
これも沢山事例がありますので御自分で調べて頂いて

例えばこの両者の方を神様はどう見ているかといいますと
あ、僕の好きな神様がです(笑)
同じなんです。
えこひいき無く同じ眼差しを送って見ています。

ここに一切の泥臭い感情は関与していないんですね
これが眼差しという言葉の凄さです。

逆に視線という見方は
高さと深さを併発していて
見下げたり、見上げたり、どうしても高低差で感じ取ってしまう

その様な言葉の様な気がしています。

視線と眼差し
どちらを求めて行くかは自由です。
もう、それこそ、この言葉自体の感じ方も自由ですし
どちらに自由を感じるかも自由ですけど

僕は気高く生きたく無いし
自他共、ハマってしまうほど深くも生きたくないです。
願わくば、視線を極力用いないで

眼差しが運んできてくれる
広さを期待して生きていきたいと思っています。
頂いた自分の愛がどこまで広がれるのだろう。
って。
広がって鎖を切る事もある
悲しい事が起きる前にって。

(^^;)

今日も来て頂いてありがとう。
お疲れさまでした。
m(__)m