2018年12月05日

森見て木を視ず

悲しいニュースのコメントを見てますと
相応に過激な事が書かれてます。

倫理的に解らなくは無いのですが
奪われた事のある人は、その様な言葉で救う事はもう無理で

正確には出来事自体を消し去りたい想いの方が強いと思う。

奪われたから、失ったに到るまでのほんの小さな違いになるまでにも
大量の時間が必要で、それこそ大量の愛が必要。

加害者の方が被害者の方へ許されるまで謝罪の手紙を書き
お互いが最後には食事を共にするまでに至った話があります。

この様な事例は奇跡かもしれませんが
一つ一つの背景や点を繋いで行った結果とも言えます。
奇跡にも訪れてくれる理由はあるんですね。

どうやって繋げていけたのかを考えたら
やっぱり愛。
頂いた事のある愛を思い出したり
充満させたりして繋いでいくのだと思う。

夜空の星の一つを見ずに星空全体を見る
この様な事ももちろん大切ですが

何気ない一言をちゃんと言える。
これも充分な愛し方でとても大切だとつくづく思う。

~ちゃん。ありがとうね。
信頼する親や施設の先生、愛した方から語りかけられた言葉
何時までも遺る言葉、受け入れてくれたんだと実感出来る言葉

これ程、強力な犯罪の抑止力は無いと僕は思っている。

森見て木を視ず

これも充分僕の中では働く言葉として残っています。
なので僕はあらゆる所でありがとうを連発しています。
少しでも負の連鎖を切りたいと思うし、
純粋にそう思う時もあるから。

波紋が無い所に遣わされたら、遣わされたで
あたくし、がんばります。
活きた信仰の証をきっと立ててみます。

(*´Д`)今日も、ありがとう御座います。
では、お休みなさ~い。

あ、メリークリスマス💛(笑)