2018年11月24日

円を描く道

皆様こんにちは。(^^;)

今日は、道について考えていた事を文章にしてみようと思います。

道を行く。素敵な言葉ですよね。

僕も自分の道を歩んで来ました。ホントにもう道中は色々あり過ぎて
描き切れない位の感情が生まれては消え、また生まれ。
その繰り返しで御座います。

自分の足で歩み、踏み固め
自分の足で踏み固めれない場所には
誰か様にも踏まれつつ
より強固、より平坦にして頂き
時に二の足で固める事適わない場合にありましては
膝を付き多くの接点で踏み固め
それでもだめなら体全てを投げ出して
倒れる様に踏み固めて参りました。

と、

我、都合で、良いように解釈してます。
実際はその時その折、そんな風には感じれないんですけどね。(笑)

で、本日書きたい事はこれじゃなくて
道の形態についてです。

形につきまして。

無意識下で人の歩む道は未来へと繋がっているという感覚を僕は持ってましたが
今は、ちょっと違った道の捉え方をしています。

道は未来への導線と捉える事も期待感一杯で勿論消えうる事はないのですけど
線は線でも、曲線、それも円と捉えて見る事も出来ます。

何故そう考えるのかと申し上げますと
拡がりを見る事が出来るからで御座います。

例えますと人の持つ眼球の様に
曲線を描きながら道を踏み固めて行きますと
見える世界はやはり変わって来ます。
クルクルと廻り踏み固めながら
少しづつですけど視える世界が大きくなっていくという感覚です。

例え同じ様な道かな?と思ってましても
2周目と3周目は僅かでありましても拡がりを見せています。

ただ、その円周にありましては
やはり明暗を分ける箇所も曖昧な箇所も通りますから
視えるという感覚には絶対的に灯りが必要であります。

貴方様の持つ灯も
キミの持つ灯も
勿論私の持つ灯も
円を描く様に歩みながら、
視える世界を広げながら
暗い場所での道すがらでありましても
言葉や営みが灯となって道中を明るくしてくれております。

特に夜の灯のぼんやりとした
温かみや滲みなんて
眼に染み込んで来るようで
もう、たまらんですよね。
(^^;)

では最後に
その円の拡がりの僕の目的についてですけど

愛は寛容で親切だからです。

最期まで許し包む眼を養いたいからですね。

では、寛容と親切の目的とは

自由に円を描くような営みが送れるからです。

言葉が道を広げる一助となります様に
言葉の持つ命とどなた様の持つ命も常に対等であります様に

そんな事を今日もお祈りしています。