2018年11月11日

忘れるという事

皆様、毎度ありがとう御座います。
(^^;)

今日は、忘れるについて考えてみました。
何時もの様にほぼ、こじつけです。(笑)

もう大分長く生かせて頂いておりますけど
その歩みの一つ一つを全て覚えてる事って無理じゃないですか。

とても嬉しかった事も
楽しかった事も
怒った事も
哀しかった事も

事実として記憶には残っていても、その当時の感情って
そのままに再現出来ないじゃないですか

これね。やっぱし不思議だなと思うんです。

ここから本題なんですけど

多分ね、人は肉体の死を迎えても
死なないと思うんですね

なんていうのかなぁ
先がある。ずっとある。

だから過去の感情に支配されない様に
元々その様に備えられてるんじゃないかなぁってね。

そういう意味で忘れるという機能が備わってるんじゃないかなって。

たぶんだけど
先がある。ずっとある。きっとある。

これもね、自分が望む様にも出来るし
沢山の望むの中に身を置く事もできるんじゃないかなって

こう在りたいと願う人は
こう成りたいと願う人は

与えられた肉体の時間で間に合わなくても
そこからまだ続くんじゃないかなと思ってます。

僕の信じる事も昔と違って随分変わったし
随分と苦労しましたが、自分を励ましてくれた神
この神以外は神じゃないという考えも今はありません。

それぞれの信じる事象で表現は変わると思いますけど
そもそも、争いの種を捲くのは神じゃなくて崇拝を望む悪魔だろ
尊い思想もすり替えるのは彼でしょ。(笑)

という極々単純な事にも気付いています。

その様にして、不必要な感情を忘れて行くから
たぶんだけど
先は、きっと、今よりもっと凄い事があって
その先にもそれよりもっと凄い事があって
もっと先にはメチャクチャ凄いことがあって

こう在りたい
こう成りたい

全ての方に、それすらも、ふっとばす様な事象が
それすらも、忘れてしまう様な事象があるんじゃないかな
だから逝った方はその楽しみを奪わないし、語り掛けない
何もしない愛し方もあるよね。

そんな風に妄想してました。(^^;)

最後に僕の自論ですけど
あ、全部自論か(笑)

まるで存在すらしないものは妄想も想像も想造も出来ない。
この様な希望が神様と僕との関係では成り立っています。

僕の神様は愛し合えればいいね!と言ってるけど
悪魔の様に拝めとは言わないからです。

その様な枠に入れようとは決してしない
必ず個人差が出る
教え、律法、教義の履修のみでは誰一人として希望や救いを持てない事を
神様は知っているからですね。

先ずは、愛し合えればいいね!
その先は何ですか?えげつない程、尊い事ですか?

それが何かは未だ教えてはくれませんけど
いやもう、めっちゃ期待しまくってます。(笑)

それではお休みなさいませ。
本日もありがとうございました。
(^^;)