2018年10月18日

同じ力

春が来たというので心の扉を開けてみた
陽気が過ぎると扉を閉めた

夏が来たというので心の扉を開けてみた
熱いと一言、扉を閉めた

秋が来たというので心の扉を開けてみた
寂し過ぎると扉を閉めた

冬が来たというので心の扉を開けてみた
やはり寒くて扉を閉めた

人は決して弱く無く、また強くも無いけれど
扉を開閉する力を持っていて。皆、力持ちだ
強弱の秤で計れない力を持っている

四季は私やあなただけの扉に手を振れる事はせず
ただ訪れて、ただ在ってある物。

四季は扉を閉められると寂しいと思うけど
そこよりも何よりも
開閉の力を奪う事を最も良しとしていない。

。。。
。。。
。。。

なので僕はこの様に考えます

僕がいるあの丘の方はこう言いました
我が神、我が神どうして私を見捨てられたのですか

これに対する、僕が想う解は
あの方が律法や教えに奪われていた力を開放される先駆けとしてそれが必要だった事
因みに罪やエゴが無ければ律法も教えも人には必要無く与えられません。
それから
あの方は死す事より、神との交わりを最もとした価値観がありました。
それでも神は後の世の人々の命を優先される想いがあの方を一度無に帰さねば成らなかった事
これを想う時、僕は胸が裂けそうになります。
ここだけは、御自分で選べなかったからです。

生涯において愛の歩みしかしなかった方が
それすらも十字架に付け捨てなければならなかったのは
愛は
律法や教えであってはいけないからなのだという事

そして最期にこうも宣言されました
(完了した)
これが福音その物なのだと信じています。

十字架の前と後の時代では全く違うと僕は思っていまして
あらゆる良い物を持ってしてでも拭えない物
それは冒頭の様に
律法や教えは良い物であるにもかかわらず
触れて欲しくない扉に容易に触れて来るからなのだと
出来、不出来でいとも簡単に触れようと誘惑されるからなのだと

閉める力も開ける力も人が活きたいと願う力は同じである
この様な営みをしばしば無視するからです

笑顔で扉を閉める方もおられますし
笑顔で扉を開ける方ももちろんおられます。
まぁ。。逆も、どちらでも(笑)

今、確かなのは十字架の後の恵まれた時代であるということで

特別な物ではなく、一つ事が預かり背負う物でもなく
どの様な方でも四季の生業の様な営みが叶うという事
これらは信仰心や知識量や経験によりません
沢山の方に触れて来たのでホントにそう思います。

ですので
(完了した)
これはそういう事なのだと思います

だから僕は何時も丘の上。ココに居ます。

キャンプ張ってる位。
もうどっか行けよ(笑)と言われる位。
(^^;)

その様な訳で御座いまして
またしても詩をば・・ (笑)

(タンポポ)
無数に舞う人の想い
タンポポの種の様に世空を舞い
行先は無限
種は何時か地に落ち
地は種を育む
その場所こそが愛
地に出来た道のなんと顧みられ難く
なんと歩み易き事か

本日もお付き合い頂きまして
ありがとう御座いました。
m(__)m