2018年08月23日

台風20号の接近に伴いまして気もソゾロ

台風20号の接近に伴いまして気もソゾロ
大きな被害無く済めば良いと願っております。

こんな日は事務作業に勤しみつつ、お風呂に入って休みつつ、母の羊水に浸かって生まれ変わるゴッコでもしようかな。
(^^;)
考え事もちょっと休めようかな。。なんて思っておりましたら。。

そうはいかず、このやうな言葉が浮かんで来ます。

活かす為に活きて共に活かされる為に。

為という言葉は共有の財産ですので、もう少し自分が置かれて来た環境に準じて深めて参ります。

そうしますと、続いてこの様な言葉が浮かんで来ます。
神はその一人子を世にお与えになったほど人を愛された。

で、ですね。
自分の子を与える程人を愛された神様が何故、拝めというのか?
これはオカシイなと確信しました。

我を崇めよ拝せというのは悪魔的な思想だよねと確信しました。
悪魔が何者でどうだこうだと書いてもしょうがありませんけど、これが生まれた起源は嫉妬だと、ここは僕もその様に思ってます。
悪魔も神様の様に慕われたい。これが嫉妬の始まりだと僕は信じてます。

ですから、僕は非常識な異端者かもしれません。
けど神様は拝んでなんか欲しくなくて
共に活かされる為に人の魂を作ったんじゃなかろうかと考えております。
長きに渡る権威構造で巧みにすり替えられて来たとさえ強く思っています。

時代劇じゃないけど、面をあげ~いい!!
これはやっぱりおかしいでしょ。これは流石に誰でも嫌で、詰んでるしょ。(笑)
それをもし神様が望むなら、最初からその様に作り選択の自由をも人には与えないはずです。

また、最初から全てを備えている神様が、足りなくて継ぎはぎだらけの僕を作って拝めというのは、それは全てを備えていないという事になります。その様な小さき事の為に態々僕を望む訳ありません。

何せ、神はその一人子を世にお与えになったほど人を愛されたからです。
この1人子は散々の侮辱を受け,辱めを受けてもその人をも最期まで救おうとしました。
その人の心を視ずに心に囚われた魂を視て救おうとしました。
これが
私の願うことではなく
あなたのみこころのままを
なさってください。

ということなのだと思っています。
この様な方が嫉妬と傲慢に捕まるわけありません(笑)
というのが結論です。

なのでやっぱり神様と人とは対等だと思っていますので僕は拝みません。
祈りますけどこれは会話です。
愛し合うはそこでしか機能しないからです。

対等とは家族の様に
時に父の威厳を持って強めて下さる時もあれば
時に母の慈愛で傷みに触れてくれる時もあり
時に兄弟姉妹の様に共に励まし合う事も出来る方
それを成す為、涙を持って何もせず見守る事も出来る方。
そして、人が今、過去、何者であったからといって決して裁かない方。
愛が眼に見えて働いている場所の事。

この様な神性の捉え方は皆それぞれ自由で一番大切ですけど、僕はこれが一番しっくりきます。

こうして活かす為に活きて共に活かされる為にへと繋がって行く。
道はちゃんとずっと続いてる。

でも、油断せずに
貴方の右の座に私を貴方の左の座に私の子を
この言葉からも学びがあります。
これはどうも邪(よこしま)っぽいです。
全然関係ないけどヨコシマは囚人服に使用されている国もあります。

スミマセン。ただ最後に横縞と言いたかっただけです。(笑)
でもね、囚われない様に。。
ブラブラ歩んでちゃんと生まれ故郷に帰ります。(^^;)

今更ですけど、雨漏りと全然関係ない記事ばっかだな
先に自分の心内構造の雨漏り直さないとな!!(笑)
私はこんな感じの人間です。宜しくお願い申し上げます。

本日もお付き合い下さってありがとう御座いました。
m(__)m