2018年07月22日

一緒に忘れましょう

僕はその縫い目の一つ一つを覚える事が出来ないので、一緒に忘れましょう。。とだけ伝えた日曜日。

まぁ。なんと申しましょうか、後は僕が頑張れば良いのです。
(^^;)

昨日は、遅くまで闇の結晶の動画を観てました。
凶悪犯罪の動画ですね。
余り、気分が良く成る事はありませんけど折に触れて機会を設けております。

昨日見た動画の中で少年の凶悪犯罪に対するコメントで考えさせられる事がありました。
その犯罪に応対した裁判官の方がこう言ったそうです。

彼らは、余りにもバカ過ぎる。

おそらく、幼すぎると言いたかったのかな?と想像します。
未成年とはいえ、もう成人は目の前。
法的にはそうですが小さな虫を良心の呵責なく殺める5~6歳程の知性のまま育ったという事だと思います。
これを裁判官の方は感じ取ったのでしょうね。
結果的に少年法に守られて死刑は免れました。

僕が5~6歳の時が正しくそうでしたので。これは理解できます。
この頃は、カマキリとカマキリを戦わせたりしました。
何故そうしたのかは、全く解りません。本能としか言いようがありません。
そこから、それが集団化しますと更に精神年齢は低下する。

そうなると、もう唸る、叫ぶ、泣くの赤子の領域までさかのぼってしまうのでしょうか。
イジメやハラスメントや虐待もそういった経緯があるんでしょうか。
例えそれが、成人の一年前であったとしてもです。

育児に疲れる親御さんの気持ちを僕は知ってますので、その様に解釈してしまいます。
子育てが可愛いだけでは無いのは重々承知しています。

これが解ったからとか、解らなかったからとかといって今後、同じような悲しみが生まれない保証など無いんですけど。

ただ、一つだけ今の僕が出来る事は
今日、公衆のトイレで僕より20程上の方がカギを締めずに用を足していて、僕は空いていると思いドアを開けましたら少しだけイラっとされた空気を感じとりました。
トイレのカギは閉めないと。。と思うと同時に、この方は何らかの理由でそこは育って無い。
これは、しょうがないなと思いました。
他の面は優しくて立派なおじいちゃんなんだと思います。
この様な解釈は出来ます。

木を見て森を視ずとよく言いますが人はたぶん森です。
育っている木とそうでない木が混合されていると思います。
また、常緑樹も落葉樹も同じところ。

そしてね。
そうなると大人も子供も境界はないと思う。
線を引くとそれが壁になり視える物まで遮られてしまうと思うからです。
大人という言葉がもう信用出来ない位、脆弱でありますから、無意識に大人だからと、手に取る習慣は外した方がいいなと思いました。
どのみち、自分が作った大人像でしか視れないしね。
それは、非情に窮屈で御座います。

盲人が盲人の手引きをすれば一緒に穴に落ちてしまうと説く書物もありますし、願わくば、誰も穴に落ちない様な営みを祈ります。
あ、僕もですけど。

最後はダジャレ。笑
愛す。(アイス)
こらこら、それってコーラ味。
子ら子ら、それってコーラ味。
皆、誰かの子である事は間違いありません。