2018年03月14日

全身全霊でどうでしょう

現場出る時にはもうパッチは要りません。
それ位温かく成って参りましたね。
素足で抱っこされてる赤ちゃんに要らぬ心配も無し。

さて、
年末辺りに私共の倉庫に不法投棄されていた方が判明しました。
投棄物に名前が書いてたので判明したのですけどそれまで色々どう処理するか思いあぐねてたんです。
どういう風にあぐねてたかと申し上げますと

第一に投棄した人は何を思っていたのかをです。
これを考えてました。
会社から費用を頂いて処分を頼まれた方がその費用を惜しんだ。
おそらくこういう事だろうと思います。

ただね、問題はその先で
その方が何故費用を惜しんだのか?なんです。
真の問題はココ!!ちょっと大げさですけどね。

で、この様な結論に至ります。

その方にも大切な方が居て、その方に何かプレゼントを買いたくて惜しんだ。

この様に私が活きれる解釈に無理やり持っていきます。
かなり無理矢理してます。(^^;)
大概これで何とかなってきましたから、もうこれでいい。笑

という事で
先方に電話して視ずに流しますから今後頑張って!とお伝えしましたら、それではいけませんという事で引き取ってもらいました。その際、私が何者でどんな生業かは伏せました。背負う程の事ではないからです。

私の性質上、不義に義をブチ当てても全く面白くない。
私の中だけですけど。
もうそれでは何も生まれない事を嫌ほど知っているからです。
罪に癒着された自我が対等ならぬ上下関係だけは生みますけど。
そんなんもうどうでもいい。
ちっとも笑えやしない。

また、
※愛せる者だけ愛して何か良い事があるでしょうか?※
この素晴らしい言葉の財産があるからです。

去年書いたブログでこの言葉と何十年付き合って来たと書きました。
この言葉が生み出す義を食せない方もいるからそれは置いときまして

今回の事で気付きの幅が少し大きくなったので
この言葉の問いかけに対する私なりの返答と解釈を広げます。

もし、愛し難い者を愛せるなら
愛する者、愛した者を今よりもっと深く愛する事が出来るからです。
今よりもっと深く全身全霊で愛したいからです。

全身全霊という言葉の中に自我は入っていません。
身と霊だけで
そんな感じでどうでしょう

(^^;)