2017年10月09日

3っつで一つ

皆様何時もありがとう御座います。<(_ _)>

本日は、またしても、自分語り致します、ゴメンなさい。

でも残して置きたいので書きます。(実はちょっと再編成してます。^^)

 

私の肉体は心と体だけで構成されていないと思っています。

私は肉体と心と霊性の3つで構成されていると思っています。

この時点で気持ち悪いと思う方はそっと閉じて下さいね。 笑

 

以下は理由です。

素行も悪く、逸脱し過ぎ、働きもせず、親のスネばかりを食べているお子様にどうして母親や父親は愛の限りを尽くせると思いますか。それは心で判断してないからです。母親と父親の霊性が子の全てを許容しているからです。霊性は傍目から見れば理解不能な愛を生みだします。理解不能なのは、私が心のみで見ているからだと思いました。

また、十代の血気盛んな時の初恋や恋愛感情。心が締まって行く様な・・。キュンとした想いは肉体と心ではなくその時代に応じた霊性が働き掛けていたからだと私は思っています。個人差はもちろんありますでしょうけど、今の私は一向にキュンとしません。それが例え品行方正で非の打ちどころも無い方がおられても何もキュンとしません。(笑)今の私の霊性はそこには働いていないという事だと思っています。

私は、全てに不足していても揺ぎ無く幸せな方と、全てに満ち足りていても何時も揺れている方の微々たる差はこの霊性のあるなしで歩み寄る事が出来るのではないかとも思っています。全てとは言い難い所ではありますけど・・。

また、私は一滴の闇が心全体を覆う時もありますし、一滴の光が心全体を照らす時もあります。この一滴とは確実に自分の霊性に落とされた明暗・陰陽だと認知しております。

私は霊性を損なわれますと心を閉じます。霊性が回帰しますと心が開かれて行きます。私の霊性を守る為には人が勝手に値踏みする余計な煽動や、常識や価値観や価値から派生するあらゆる裁きや比較対象から私自身を守らねばなりません。

煽動や常識や価値観や価値から生まれる裁きや比較対象は、自分だけに働きかけるなら良い物です。もう一度言いますが、自分だけに止めて置ける霊性が生きていたらです。

 

ここからは、私が霊性を失った時の回帰に必要な細工を書きます。

 

※言葉や文章は食卓の上に並ぶ料理に似て食べ物です。決して指差しや毛皮のコート、ブランド物の洋服の様に自分を着飾って見せる物ではないと思っています。

 

※言葉や文章は食卓の上に置く灯りに似て自他を照らす光です。決して闇の中の外灯の様に、迷う人を自分に引き寄せ続ける電光ではないと思っています。

 

※言葉や文章は、より美味しく頂いてもらう為に、何年でも練磨して行く物ですが食された後の食器は自分で運んで自分で洗わないといけないと思っています。これは自省です。何処に食べ残しをされたか実践で認知できるからです。

 

まるで意に沿わない言葉や文章でも、

え~なんでそうなるなの~? 笑

かような余裕と可能性を生み出す為には、全く頼りに成らない裁き司を置かない様にしたいと思っています。自分の霊性を活かし回帰させるには、裁き司は死ぬほど何の役にも立ちません。

 

私の裁決は、時に間違っていはませんが、誰も自分も救えないと思っています。私は人の心しか見ていなかったからです。まるで非常識な言葉や文章を発する方に、霊性を用いて、例え一歩でも歩み寄る前に裁決していたからです。心は何時もそういう動き方しかしませんし出来ません。これを奔放に捨て置いたからです。

ただ裁決だけをしたいのなら、これからもそれで大丈夫です。心を用いる前に霊性が先立たなければ何時までも鎖は私から消えて行く事は無いでしょう。この様に思います。私に入って来た情報や事象の比重など微々たる物です。私がそれをどう扱うかが私の霊性の本当の出番であります。

私は、これらと共に歩みたいと思っております。出来る、出来ないの前に可視化して文章にいておきたいと思いました。