2017年09月28日

心の駅作り3(たぶん完結編)

皆様何時もありがとう御座います<(_ _)>

いよいよ心の駅作りが終焉を迎え様としています。

この22年散々ボロクソに負けて来ましたけど、もう本当にタオル投げようかと思いましたけど、様々な方の助けもあり大方の対応策が出来ましたので綴ってみようかと思います。

 

私が、先ず何にボロクソに負けていたかを先に書かせて頂きますね。

※自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。※

これです。

この言葉を受容して22年渡って参りました。受容したにも関わらず全く出来ませんでした。

愛を知らない人を受容せず、自分の都合の良い生き方をずっと選択していたからです。

 

そこで友人の歓迎会から機を得て心の駅作りを迷いながら作っておりました。

当初は海と墓地があり、そこに駅を作り、生身の線路で繋ごうと思っていました。

時計台も作ったかな。

 

この駅にはとにかく美しい物を集めたいという欲求から

駅馬車も作って旅にも出させました。

 

でも、だめでした。

※自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。※

心の中であってもやはり閉塞している自分を確認できたからなんですね。

 

美しいものだけが美しいのか?

美しいものが輝くには美しく無い物も要るのではないか

美しく無い物は一体だれが美しくないと決めるのか?

この様な葛藤も致しておりました。

 

せめて、私の心の中だけは裁き司が誰かを被告にしたくなかったのです。

私の心の中には依然として心の駅はありますが今はそれだけではありません。

 

ここには

現在、社会の縮図がそのまま詰まっています。

踊る人

嘆く人

歌う人

働く人

強盗する人

解く人

説く人

あらゆる属性の人達が賑わって住んでいます。

勿論自分の属性に合わない人もいますがそれでいいんです。

今の時代、今の縮図、今の相関関係がそのまま入っている状態で御座います。

まるでミニチュアの様に納まっています。

 

このミニチュアと現実社会の変化は繋がっていますからこれからも多様に変化して行く事でしょう。

 

しかしながら、

※自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。※

ここに到れる事適わなくても

受容するという第一歩は踏み出せる事が出来たと思っています。

 

点が何時もぶれを生み、線が答えをくれて、面が具現化してくれるなら、立体は自由を約束するという

もう何にも捕らわれないミニチュア化した縮図を入れ込んだ次第です。

今私の心には駅ならぬ街が

沢山の人の灯火が灯っています。夜景も綺麗で、風景と生活の煙も綺麗です。

沢山の建造物には沢山の想いが宿っています。

父ちゃんと母ちゃんと給料日と食卓と笑い声が宿っています。

映り行く現実社会と繋がって

これで、いいんだ、これでと頷いています。

点上で無く、立体で見るならば、人は本当によく頑張ってきたと思います。

誰も何も間違っていないとつぶやいています。

間違った事をした時や点でも、その人も私もまた頑張れる。そう思っています。

最期の時まで何時でもやり直せる。そう想っています。

自分がその助け手になるという傲慢もありません。

これは私が決める事ではありません。

 

上記が

※自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。※

この言葉への私のアプローチの仕方で御座います。

(^^)

あ、これで負けても私は、白旗は絶対上げません。

私は、目に見える物でも見えない物でも、その奴隷ではありません。

人は全ての事象から解き放たれた自由を得ないと、愛を使う事は難しいと思うからです。

自由と愛の軸上にしか希望は生まれないと思っています。

例え今日の昼食が、アンパンを2つに分け合う形であったとしても。

 

(^^)色々言ってゴメンね。そして何時もありがとう。