2017年09月20日

生きると活きる

皆様こんにちは<(_ _)>

今日は、生きると活きるについて、語っちゃおうと思います。

良く、人は、 あ~腰痛い。 でも書こう。

 

良く人は1人では生きて行けないと言います。拙僧もそう思います。

今日は、無免許の僧で行きます。

でも、よくよく考えると1人で生きている人は五万といます。

五万は言い過ぎですけど、居ます。

 

でもね、1人で活きるにはちょっと遠い生き方をされています。

もう完全に心に蓋しちゃって溶接もしています。

なんでそうなったと思いますか。

答えは簡単。傷つき過ぎてもうこれ以上は無理、、。と成ったからです。

いや、正確には成りかけているから。

でも、生きている以上は完全に蓋は出来ません。

活きるへの回顧が残っているからです。

 

 

例えば、魚に例えてみますと

生きていれば、濁流も来れば、大雨増水もある、離岸流もあれば、大きな魚から逃げざる得なかった事もあるでしょう

その時、不本意ながら、岸に打ち上げられて苦しい時、

自力で戻れない場合には助け手の方が現れるかもしれません。

ある人はそのまま、川に戻してあげるか、元気が出るまで水槽で手当てしてその後、川に戻してあげるか?

また、ある人は元気が出るまで水槽で手当てしてそのまま水槽で飼い続けるか?

二通りある場合

魚にとって、どちらが活きると思いますか。

 

水槽の中の魚はもうそれ以上大きく成る事も、早く泳ぐ事も、美しいサンゴ礁も見る事適いません。

濁流や大雨増水や離岸流、また大きな魚の危険性を仲間や家族に伝える事が出来ません。

自分の仲間や家族が水槽の中で生きて欲しいのですか

それとも可能性無限な大自然の中で活きて欲しいですか

私は美しいサンゴ礁を一緒に見たい。命許されている間共にしたいと思っています。

 

私はね、誰が何処に蓋しようが本当に自由だと思っています。

でもね、少しだけ可能性無限な大自然に帰って欲しいと願っています。

水槽に蓋されるのと、自然の貝が蓋をするのは雲泥の差があるとも思っています。

 

また、今見ている世界が全てで、限界だと思いますか

残されている日々はもう今までの復讐、あ!間違えた、復習だと思いますか? 笑

 

復讐(笑)

 

私はそうは思っていません。とんだ茶番で御座います。

ですので、人を己の水槽に入れる人はどつきませんけど

入れ物を見たら今日の様にどつきます。

 

予習も復習も水槽も無いから 活きれると思うからです。

余り感情的にならず、何やってるのか解らない方達の写真を張って置きますね(笑)