2017年09月16日

提灯の有効活用

私が死んだら私の肉を食べなさい。

怒りに正当性は無いかもしれませんが、もうどうしようもない位の怒りを内包してしまう時があります。

 

子供が楽しみにしていたパンの封を開けたとたん奪い貪る方。

戦争で、私が死んだら私の肉を食べなさいと言わざる得ない方。

 

何故なのか。

この因果は、負の感情の連鎖・蓄積なのかな。

見栄やプライド少しばかり人より秀でた自尊心なのかな。

これらが生み出す負の感情の連鎖が蓄積されていった結果なのだとしたら

 

どうしようもない怒りを生み出しているのは、ひょっとすると

自分なのかもしれません。

自分が、負の連鎖の蓄積の渦中に気付かずに居るのかもしれません。

子供が楽しみにしていたパンの封を開けたとたん奪い貪る方。

戦争で、私が死んだら私の肉を食べなさいと言わざる得ない方。

これらを私が生み出しているのかもしれません。

 

私は、私はその様な悲惨を生み出していないと言い切る自信がありません。

目に見えない、しかし確実に残る負の連鎖の蓄積を盲目し、誰かのせいにして平和ボケするのは非常に楽であると思うからです。

誰かが何とかしてくれる、、。

これも、、、。私は家畜ではないし奴隷でもありません。

 

この場合の因果を自他共同罪とするならば

自分のまつりごとは自制・自省・自生でどうにかなると思っています。

この様な事が起こる前に自分がやるべき事は、

やれる事を先ずは目視したい。目視にて自分なりに連鎖を断ち切りたい。

私の立ち位置は声を出せない人、どうすれば出せるのか解らない人の隣人であり続ける事でありますから、愛への愛は絶えさせてはいけないと思っています。

その為にも自分に向けての怒りやジレンマは少なからず持っていてもいいとも思っています。

 

職業への、家族への、親友への、人への愛

これらはとても美しいです。

しかしその灯は熱く輝く事が本来の役割ですから

熱風で誰かの灯を消したり当て付けたりする事では無いと思っています。

提灯の様に覆いを被せて熱風を出来るだけ防いでみます。

提灯の覆いとは?

愛への愛なのだろうと思っています。

愛自体を愛する事なのだろうと想っています。

私と人様と愛との関係は常に対等を望んでいます。

主従・師弟・上下のくびきの段差は私の過去の経験上、無意識下で熱風を呼んでしまうからです。

まだまだ、頑張る、頑張れる日が続くといいな。