2017年01月16日

劣等感も優越感も要らない

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(カルタ大会 ↑)

年始から、明けて行く一年にしたいと常に想い続けて、随分日数が経ってしまいました。

拘りは捨てないけれど、拘らないという出口に近い解は持っていたものの、

 

はて、具体的にどうするか、、悩み捲って心内を掃除したり、模様替えしたり色々やっておりました。

年末に作った動画の歌詞の中に

(ままにぞ受けん)

何度も聞いて来たこの言葉が、急に色づき始め、

これや!っと (笑)

 

実を言いますと私は能動的な慈愛は常に持ち合わせていたものの

受動的な慈愛は皆目ダメで、まるでダメ男で、知っているけど超苦手。

ままにぞ受けんという、

この差金もメジャーもあてがわずに全てを受け止めるという自由に気付かずにおりました。

 

仕事(私事)でたとえますと、

 

例えば、

スレート屋根で家族を養って来た歴史の方もいれば

瓦であったり、金属屋根であったり、、色々おられるわけで

ここには 喜びや悲しみ、幾多の情景(私の尊敬するお父さんの仕事)

が、それぞれの家族に沢山詰まっており、これこそ唯一とする必要は全く無い事。

 

 

例えば、

良い事に一生を捧げたにも関わらず、誰かを嫉妬させてしまう悪を生み出してしまう善

悪い事に一生を捧げて、反面教師という善を生み出した悪

これらは、言い出したらキリがなく、最早、善悪自体が兄弟なんじゃないかという位狭い範囲で頻繁に干渉しております。

 

ままにぞ受けん

 

全ての事象をこの言葉通り、履行するならば

鎖がちぎれる音がどこかで必ず聞こえるはず、

もっと言いますと慈愛は表裏性のある癒着した善悪の対象ではないという事で御座います。

愛でもいいです。

ここは必ず分けておかなければ決して鎖は切れて行かないと思いました。

 

必ず慈愛を届けるという能動的理念は捨てません。捨てれません。

その為には、全てを受け止めるという受動的慈愛が生み出す自由が私のこれからには必要であると、こう捉えているので御座います。

良い物も悪い物も。

ままにぞ受けん。

結果としていつの間にかくっ付いていた、子供の頃には全く無かった劣等感や優越感も影を潜め、今よりもっと機能しなくなる自分になるでしょう。

たぶん・・

 

いや、、そうする。(笑)

 

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という事で、本日は集約した水流が摩耗を生み出した晒し銅板屋根の修理工事にひたすら、ひたすら寄り添わせて頂いておりました。