2020年01月08日

分裂が生まれて愛に到る

分裂が生まれて愛に到る
纏めますとこの様な聖句があります。

この言葉を受けて

僕が20年前に信仰者として駆け出しの頃
こんな事がありました。

当時使用していた事務所の隣は飲み屋さんだったので
多くの泥酔された方が廻りに訪れます

ある日、事務所の前に泥酔された方の自転車が止められており
僕は出入りに難儀しておりました。

幾度と無くその様な機会がありましたので
自転車の持ち主の方に(おっちゃん)ここに止められると
出入りに難儀しますと伝えましたら

逆に激昂され、お前におっちゃんと呼ばれる筋合いはないと叱責を浴びました。

そうですね・・

僕は元来気性が穏やかな方では無い側面があり
この様な場合は暴力で対処する忍耐の無い若者でもありましたので
握り締めた拳を下に向かわせるのが精一杯でありました。

恥ずかしながら
涙して我慢と忍耐を自分の心の感情に告げました
駆け出しといえど、十字の愛が僕のなかで働いていたからですね

死ぬほど苦しいのはこれだけでは無いのですが
僕にとっての十字架は愛
自分の十字を背負おうとすると感情は死にますが
すこしだけ
少しだけですが愛は芽生えます

この様な事を読んで頂いている方に強いる趣旨は何一つありません
ただ、意図しない試練を受けた時、
その時、責めて終わり。
互いに何も得れない可能性は、何も無い可能性は
愛を持ちて堪えれば
焦土の中にも微かな希望の芽生えも
先の芽生えも
その可能性もあるのではないでしょうか
この様に想っております。ごめんね。

心(感情)だけでは我慢や忍耐の試練に立ち向かう事はとても困難を極めます
これも私の僅かな歩みの中といえど承知しております。

ですから、あれから日数の経つ今
私が選択肢の一つとしてお伝え出来る事があるとするならば

拙くもある僕自身の内面の捉え方であります。
もちろん是非ありきで大丈夫です。

心は(感情)を司り
魂は(慟哭)を司り
愛は(自由)を司っております

その中に在って
愛はそれぞれの癒着を切る唯一の賜物でもあります

自分の内面には自分が忌み嫌う物がたとえ混在していても

自分の意志でたった1つだけではなく
3通りの自分を選べる選択肢があるという事をお伝えしたく思います

何を選んでも自由
選択の結果・・・。
過程を共有出来ていない選択の結果・・。であるならば
これだけは自己・他者評価は一先ず置いていて下さいね
自分に働き掛ける矢印はともすれば捕まるから気にしないで。

それから
心でありましても、魂・精神性でありましても纏う
罪・咎・憂いの癒着は愛で分断されているという事を
何時までも癒着していないという事実を
たとえ少しだけでも憶えていただけましたら
とても嬉しく思います。

故に、私の評価などはホントにどうでもいいですから
私なりでは御座いますが
いかなる時でありましても選択の自由を感じて居て下さい。
その様に願う記事でもあります。

愛と自由を裁き切れる秤は
自分であれ誰であれ何であれ
手に持ち得る事は出来ませんから

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ それでは。
また、明日です!!