2019年12月12日

愛と活きる 屋根工房きのした

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ みなさまこんにちは
今日も自分の内面の考察といいますか、暴露を言語化してみようと思います。

こういうのは当てはまるとか、そうでないとか余り関係ないので気楽に流し読みしてくださいね。

僕は長年、信仰者としての側面を持って歩んで参りましたので一つの概念として心の解放を願う歩でもありました。

それには心以外の自分の内面を形造る。また気付く必要性がありました。

言わば、心の扉を開ける鍵の様な存在(魂)の事ですね。

念おしますけど

これが僕にとってはですよ。w

僕にとっては聖書であり十字架であった訳です。

そこには見て感じて深まる言葉の数々が無数に残されていました。

どの言葉も美しくて、それは、それは魅了されていったものです。

 

 

さて、心の解放感を得た時のすばらしさは得難い物です。

僕にはそれまでにハッキリとした闇が心の中に存在していて

何時もこれを観ては溜息混じりとふがいなさ、疑問、苦しみ、葛藤

何処にあってもこの闇がまた拡がってしまう虚無感にさいなまされ続ける事になっていたからです。

 

 

ところがどうですか?

自分には心の扉を開く鍵が在るというのに、

今度は何故かその鍵(魂)の練磨に明け暮れる毎日を過ごす事になって行くではないですか。

誠に恐ろしい事で、僅かな時間しかここに在れない肉体をその練磨に費やす事に成って行くのです

何が恐ろしいか?

練磨は錆びない様に維持する事はとても重要ですが、それ以上の練磨は輝きを求め出しました。

御理解いただけますでしょうか?

魂は本来の役目以上の物を求め出す誘惑に乗り易いという事でもありました。

 

 

此処でいう誘惑者とは?

誘惑者は誰か?

もう、キチガイ扱いされてもいいですけど。w

一ドル紙幣に昔から乗ってるピラミッドと眼とか?日本紙幣にも刻印されている眼とかですw

全てを見通す眼。まぁ。。はっきり言いますとこの世の神と言われているサタンの事ですね。

この辺はオカルトっぽいので、学ぶ事はしませんけど、そういう象徴はこれに限らず、めちゃくちゃ昔からありますよという側面だけお伝え致します。

 

 

さて、本題へ

心の扉を開けるには魂が必要。開けないと明るくならないからです。
僕にとってはこの内面が一番しっくりしています。

心は闇を持つ → だから戒律や律法や学問での制御が必要(聖書でいいますとモーセの十戒とかですね)

しかしそれだけでは僕には不十分
それを証する対象者が必ず必要だからです。
私って出来るぅ~とか、←こういう感じが要るからですし、さんざんしたしwww

そこから派生して

魂は傲慢を持つ → だからキリストによる十字架の愛が必要(神の子が誰よりもへりくだったという事実が必要なのです)←これが僕にはアホみたいに必要な愛の中枢を成します。

ざっくりと
僕の内面はこんな感じですが。。。。(^^;)

 

 

 

こっからが一番大切

長い歩の中ではこの何方かに偏って歩む時が多すぎました。

必要性を感じた時はそれでいいのですけど

ホトホト、と、もう疲れたんですね。

だから捨てないで

出たんです。

どこに出たかといいますと

心と魂を繋ぐ役目の在る場所
この両翼を羽ばたかせる事の出来る筋力の在る場所

つまりは
愛です。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。

↑この言葉も愛だから出来るのであって
僕の心と魂を総動員しても僕には無理でした。(笑)

ですから
ここを中心としたときに何方か一方に捕まる事の無い自由を感じとれています。
繋げてくれてる橋の上から見える世界を見ている感じです。

ですのでこんなかんじでありますから

愛はいいな。(笑)

何方ももう行き尽くしましたから。。。

裁かないというよりも、裁けないといいますか
裁く必要性を感じないのです。

愛はいいな。(笑)

愛と活きる 屋根工房きのしたでした。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 今日もありがとうございました。良いクリスマスを。